閉鎖空間のSNS以外で、読書メインのやっつけブログを2010年開設→12日間で無残にも放置→2011年311から3ヶ月を契機に「原発事故考察」の為に復活。 読了日記は自分の備忘録の為、ネタバレ満載ご容赦!


by akane-kmj
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読了:2011年9月 からすの子/白土三平



 からすの子 (復刻名作漫画シリーズ)

 出版社:小学館 価格:1995円
 ISBN:9784778031879
 ASIN:4778031873
 発売日:2011年07月21日
 

 Amazonで購入



※サイト ⇒ 「本が好き」 の献本レビューで、ただいま公開審査中の為、審査終了後にアップ ===
============ ということで、遅きに失した感ありますが、以下更新
(本が好き!サイトからの紹介文)
■差別をテーマに据えた社会派異色作を復刻
1959年に日本漫画社から刊行された希少な原本を基に完全復刻します。
作者が代表作「忍者武芸帳」にとりかかる画期となった年に発表された本作は、敗戦後の社会問題となっていた混血児を少女主人公として据え、この問題に正面から取り組んだ意欲作です。当時の世相や市井の人々の暮らしと感じ方、庶民の善意と差別性の功罪といった、今日的なテーマを先鋭に描いた異色の問題作です。
長屋暮らしのゲンさんの赤ん坊がある日、何者かに黒人の混血児(乳児)とすりかえられる。わが子同様に育てられた女の子は周囲から激しいいじめにあう。ゲンさんの願いが通じて少女にある奇蹟が訪れるが…。「消え行く少女」と並び漫画史に残る傑作です。


■書評 からすの子 (復刻名作漫画シリーズ)
著者: 白土三平    レビュアー: 上条 茜
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

白土三平さんの画力の確かさを、改めて賞賛せずにはいられ
ません。また、「異色の」という冠詞をつけて云われるこの少女
漫画を、あの時代に描いた鋭い感性と、氏の変わることない優
しさに、深く敬意を捧げます。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


 献本レビューなのに、とんでもなく時間がかかってしまった。
漫画の、というよりも「本」のレビューで、こんなにも「書けない」作品は、多分、後にも先にもこの作品くらいだろうと思う。
なにしろ、劇画で親しんだ「白土三平大先生」の、目(瞳)に「星」の入った、正真正銘の「少女漫画」なのだ。
しかも、基底は、当時の少女漫画の路線通り「薄倖の可哀想な少女」が主人公なのだから。

だが、そこはやはり白土作品であり、この少女漫画が、当時としては大いに物議をかもしたであろうことは
想像に難くない。
当然ながら画力は圧倒的で、比べるのは妥当ではないものの、当時(子ども時代)の私が読んでいた「継子モノ少女漫画」などとは、絵柄・表現、共に、はっきりと一線を画している。
とはいっても、表紙でも少し分かるように、絵柄自体は「サスケ」への進化手前という、たいへん親しみやすいものだ。
少女漫画云々ではなく、戦争という暗い時代を抜けた庶民が、貧しいながらもイキイキとした生活を取り戻した頃の描写として、この、なんとも柔らかく温かな線は最適と思える。

 内容については、「帯」や出版社からの紹介文に書いてあること以外、あまり触れてはいけないと、
読後真っ先に感じた。
だがそこで委縮してはレビューにならないので、差し障りのない程度にとどめながら進めてみよう。


まず、今の多くの漫画が、連載という形の中で技巧に走りがちになり、
たまの読み切り漫画の中でさえ失ってしまったセオリーというものを、
この作品は思い起させてくれる。
「分かりやすさ」と心地よいテンポがある。
つまり、起・承・転・結 が、たいへんはっきりしている作品なのだ。

「起」は、目次の第一章「プロローグ」。
貧乏長屋の、でも新しい時代の幕開けを象徴するような、明るい夜明けの描写。
当時の庶民の朝の、ドタバタとした様子や出勤風景などを、高い画力の漫画絵で、
若い白土三平が、奇をてらうことなく描いている。
「薄倖な少女が主人公」と前述したが、プロローグで登場する「女性」は、
やはり今も変わらぬ白土作品のそれ。
少々ガサツな女性であっても、芯は優しく、多くは強く
忍従と見せても、場合によってはしたたかにもなれるという、
白土三平の女性観は、もうこの頃既に定まっていたのだろうと安心する。
また、ここでは、今でさえ先進的とされる「新しい夫婦の形」まで提示されており、
これは、たいへん新鮮な驚きだった。

さて、このプロローグの最後で起きた「ある事件」が、自然に、次章へと読者を誘う。

起・承の「承」は、
メインであるかのようなタイトルの付いた、第二章「からすの子」。
『メインであるかのような』と書いたのには、理由がある。
確かに少女漫画の話の筋立てとしては、この章がメインには違いないが、
この作品全体を俯瞰してみると、この章は「前振り」の役割を果たしていることが分かるのだ。
読者、特にごく若い少年少女は、この章で主人公の少女に大いに思い入れをして、
悲しんだり憤ったり、主人公の少女をかばう少年の正義に思いを重ねたり、と、
しっかり作品の中に入っていけるが、ここではまだ「完全な正義」は為されない。

転じて三章「奇跡は一度しか起こらない」。
ここで、白土大先生は、漫画の本領発揮ともいうべき、ある「奇跡」を持ち込む。
だが、その「奇跡」が、薄倖の少女の環境を決して幸せへと導かないことを、
そのタイトルが暗示している。
人の心に複雑に巣食う「頑なさ」は、奇跡を以ってしても如何ようにもし難いと、
このあたりの描写こそ、まさに白土ワールド。
「異色の少女漫画」と言われる所以だろう。

そして最終章、「結」の第四章タイトルは「嵐」。
ご心配な方の為に、少しだけ、ほんの少しだけ種明かしを許して頂きたいのだが、
この「嵐」は、本当の、事象としての「嵐」である。
だから、気持ちが乱されたままお話が終わってしまうことはないので、
その点は、それこそ「人間を描き切る」という意味での
「白土ワールド」を信じて頂いて良いだろう。
当時この作品を読んだ少年少女が、それぞれの心の頑なさと対峙しながらも、
人間に失望したりは決してしなかったと断言できる。

 *-*-*-*-*-*-*-*

時代がずーっと下がって、混迷の時代と言える現代。
この作品当時から思うと、奇跡のような科学の発達。
進化したはずの文明。
だが、「からすの子」の時代と同じような人々の「頑なさ」は
心の奥ヒダで様々に姿を変えて、
人と人との結びつきを、一層難しいものにしているようだ。

今の時代、それぞれが「頑なに」思い煩うことがあるのだとしたら、
その頑なさはどれほど必要なモノなのか、
本当にそれほど大切なモノなのか、見つめ直す意味でも、
大人にも子どもにも、ぜひ、この作品を手にとって読んでほしいと願う。


※最後に、本を購入しても表紙カバーをめくる習慣のない方へ。
 この本は、必ず、表紙カバーを外して(も)、お楽しみいただきたい。

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by akane-kmj | 2011-10-13 01:17 | 読了:コミック/漫画